「修繕積立金が足りないので、今すぐ増額を」
この言葉が全国のマンション管理組合で日常のように飛び交っています。まるでテンプレートのように使いまわされる危機感。その背後には、施工業者、管理会社、コンサルタントといった“業界の住人たち”が控えています。
言い方は柔らかくても、やっていることはこうです。
「お金がない? だったら、住民からもっと取ろう。取ったお金の中から“自分たちの取り分”を確保すればいい」
まるでそれは、国家の財政構造と瓜二つ。
財務省の「増税しないと日本は終わる」というスローガンと、どこか重なって見えるのは私だけでしょうか。
■ 集めたお金の中から“抜かれる”構造
マンションの修繕積立金は、住民がコツコツ積み立てた将来への備えです。しかし、気づけばそこに群がる業者、コンサル、管理会社。実際にどれほどの工事が必要か、相見積もりを取ったかどうかも曖昧なまま、「これが相場です」と押し切られる。
その金額、本当に妥当ですか?
同じ規模、同じ築年数のマンションでも、積立金に2倍近い差があることも珍しくない。国レベルでも、同じ先進国なのに国民負担率には大きな開きがあります。日本が高負担なのは、決してサービスが行き届いているからではない。むしろ“見えない利権”にお金が吸われている。
■ 天下りと利権のミニチュアモデル
財務省からの天下り先としての団体、業界団体、政治家、関係省庁…
これをミクロ化すると、マンション管理業界にも見事に当てはまります。
- 管理会社 → 官僚の出向先のように固定された立場
- コンサル → 業界に都合の良い“第三者”
- 組合理事 → 政治家のように素人住民から選ばれ、判断を専門家に依存
つまり、住民=国民の財布から集めたお金が、構造的に“抜かれる”仕組みがここにもあるのです。
■ 真の問題は“格差”ではない、“仕組みの不透明さ”だ
「同じマンションでも積立金に差がある」
「同じ国でも国民負担率が違う」
この違いを生む最大の要因は、“透明性”と“チェック機能”です。
- 開かれた情報開示
- 複数の業者からの競争見積
- 住民の参加意識と教育
これがあるかないかで、かかるコストは劇的に変わります。国家財政も同様です。「なぜ日本はこんなに税金を払ってもサービスが悪いのか?」の答えは、結局この構造の中にあります。
■ 最後に:搾取される側からの脱却
修繕積立金の値上げも、増税も、本当に必要なものなら納得もできます。
でも、「お金が足りない」からと言って、“集めたお金の中から抜く”構造が正当化されていいわけがありません。
この構造を温存してきたのは、「自分には難しい」「プロに任せよう」という無意識の思考停止。そしてその代償を払うのは、いつだって“無知な側”なのです。
搾取構造から脱するために必要なのは、声を上げること、知ること、関わること。
それはマンションでも、国家でも、まったく同じです。
