昭和の香り漂う「押し売りマンション営業」奮闘記

あれは、バブル真っ盛りの1988年、新卒でマンション営業として社会に飛び込んだ私の、苦いデビュー戦の話だ。

入社して間もなく、幹部からの無茶振り指令が下る。

「お前、取引先の建設業者のところ行って、うちのマンション売ってこい!」

取引先…建設業者…えっ、それってお客さんじゃなくて、むしろこちらが普段お世話になっている業者さんでは? 「おいおい、取引先にモノを売るってどういう理屈?」と疑問は湧いたが、当時の会社ではそんなものは通用しない。新人に選択肢などなく、「ハイッ!!」と勢いよく返事をした時点で、すでに負けが確定していた。

「アポイントは取ったけど…」の恐怖体験

とりあえず礼儀として事前にアポイントを取ったものの、相手の声は終始重たかった。「えっ、マンションの話? …まあ、いいけど」と、明らかに気が進んでいないトーン。まるで「これ、もしかして押し売りか?」と察してしまったかのようだった。

とはいえ、行かないわけにはいかない。意を決して訪問。応接室に通され、目の前に座るのは明らかに気乗りしない顔の担当者。

「で、今日はどんなご用件で?」

「実は、弊社のマンションを…」

「…は?」

いやもうね、この「は?」の破壊力ったらない。すべてを察した顔でこちらを見つめる相手。私はもう心の中で「すみません、私もやりたくてやってるわけじゃないんです」と土下座していた。

時代は変わる? 公正取引委員会の指導

そんな押し売り営業がまかり通っていた時代だったが、実は公正取引委員会も動いていた。

1983年12月、公正取引委員会は、分譲マンション業界の6団体(社団法人不動産協会など)に対し、「建設業者や資材納入業者など取引先への押し付け販売を行わないように」と指導を行っていた。つまり、私がやらされたような「取引先への半強制的なマンション販売」は、すでに問題視されていたのだ。

「えっ、これってアウトなやつじゃん?」

そう思ったところで、当時の私はただの新人。そんなお偉い公取委の指導など現場の営業には関係なかった。とにかく売れと言われたら売るしかない。

完全敗北の帰社報告

一通り説明したものの、当然ながら契約なんて取れるわけもなく、気まずい空気のまま退散。「あー、これが世に言う『押し売り営業』ってやつか…」と妙に納得しながら帰社した。

そして、会社に戻って報告をすると、幹部のリアクションは一言。

「ダメだったか~。じゃあ、次は別のところ行ってみよう!」

…いや、だから! そもそも買う気がないところに押し売りしても無理ですよ!! と、心の中で全力ツッコミを入れながらも、新人の私はまた別の会社へと向かわされるのであった。

昭和の香り漂う「押し売りマンション営業」。
それは、新人にはあまりにも過酷な社会勉強の場だった——。

そして、時代が変わり、押し売り営業が徐々に減っていったのかと思いきや、現代でも形を変えて似たようなことは続いているのかもしれない…?

給湯器の点検商法に注意!

最近、「給湯器の点検」を名目にした悪質な商法が横行しています。「一酸化炭素が漏れている」「7年以上経過しているので寿命」などと不安を煽り、高額な交換費用を請求する業者には要注意です。

悪質業者の手口

  1. 突然の訪問や電話
    「無料点検」を装い、給湯器の状態を確認すると称して訪問。
  2. 不安を煽る発言
    「このままだと一酸化炭素が発生する」「爆発の危険がある」など、実際には問題がない場合でも危険性を誇張。
  3. 寿命を短く伝える
    給湯器の寿命は一般的に10年~15年程度ですが、「7年経過しているので交換が必要」と虚偽の説明。
  4. 高額な見積もりを提示
    本来の交換費用よりはるかに高額な見積もり(例:270万円)を提示し、即決を迫る。 実際には、床暖房や追い炊き機能がついた給湯器でも50万~60万円程度、それらの機能がないものならさらに安く交換可能です。

対策と注意点

  • その場で契約しない
    業者の話を鵜呑みにせず、冷静に対応しましょう。
  • メーカーやガス会社に再確認
    本当に交換が必要か、信頼できるメーカーやガス会社に相談しましょう。
  • 相見積もりを取る
    いくつかの業者に見積もりを依頼し、価格や内容を比較。
  • 悪質業者の通報
    消費者センターや国民生活センターに相談し、被害を未然に防ぐ。

まとめ

給湯器の点検商法に騙されないために、不安を煽る業者には慎重に対応し、メーカーやガス会社に再確認することが大切です。急な高額請求には応じず、複数の業者から見積もりを取ることで、適正価格で安心して給湯器を使用しましょう。

バケラくじと日本の財政政策:増税と減税の奇妙なダンス

ある日、『オバケのQ太郎』を読み返していたら、「バケラくじ」の話にぶち当たった。O次郎が主催したこのくじは、一見すると楽しいゲームなのだが、よく考えると現在の政府の税制とそっくりではないか?

バケラくじのカラクリ

参加者はランダムな番号を振られ、ルーレットで当選すると「1000円あげる」か「1000円もらう」の札を手にする。しかも、その金額は最大100万円にまで膨れ上がる! ところが、子供たちは「もらう」と「あげる」の違いが分かっておらず、「どっちも同じようなもの」と勘違い。結果、いざお金の受け渡しになると大混乱!

この現象、どこかで見たことがないだろうか? そう、日本政府の財政政策とソックリなのだ。

政府のバケラくじ政策

最近の政府の方針を見ていると、「こっちで減税、あっちで増税」という第140話バケラくじ状態。例えば、
定額減税 で「1人あたり4万円」減税! → でも「防衛増税」で法人税や所得税・たばこ税が増税!
所得税を一時的に減税! → でも社会保険料の負担増加で実質負担増!
子育て支援で手当増額! → でも消費税増税で結局帳消し!
賃上げ促進策! → でもインフレで実質賃金はマイナス!

「減税する」と言いながら、その分を別の形で回収するので、結局庶民の手元に残るお金は変わらないか、むしろ減っているという不思議。まるで「1000円もらう」札を持たされた子供が、「1円あげる」札を持つ子供を探し回っているような状態だ。しかも、最大100万円まで増減する可能性があるので、下手をすれば大損することも…。

だったら最初から増税しなければいいのでは?

バケラくじの子供たちも、最初から「お金をやり取りしない」仕組みだったら混乱しなかったはず。では政府の財政政策も、「減税」と言いながら別の形で回収するぐらいなら、そもそも増税しなければいいのでは?

しかし、政治の世界では「減税しました!」と言えば支持率が上がるし、「財源が足りないので増税します」と言えば国際社会にアピールできる。結果として、政府はバケラくじのO次郎よろしく、国民に札を配りまくるが、最終的には「もらったと思ったら取られていた」というオチになるのだ。

バケラくじの教訓

藤子・F・不二雄先生は、このバケラくじを通じて、単純なようで奥深いメッセージを伝えていたのかもしれない。「お金の流れを複雑にすると、みんな混乱してしまうよ!」と。

さて、政府の次のバケラくじ政策はどうなるのか? もしかしたら「2000円配るけど3000円取る」みたいなことが起きるかもしれない。いや、「5万円減税したけど社会保険料で7万円取る」なんていう、もっと高度なバケラくじになる可能性も…。

結論:バケラくじはフィクションだが、政府の財政政策はリアルな第140話バケラくじである。 防衛増税や定額減税という札を持たされ、国民は今日も混乱の渦に巻き込まれる…。

騒音&丸見え!それでも住める不思議なアパート

不動産投資をしていると、「こんな環境で本当に人が住むのか?」と疑問に思う物件に出会うことがあります。その一つが、ある私鉄沿線の急行停車駅の真ん前にあるアパート。駅近という点では最高ですが、問題は立地。線路沿いどころか、ホームの目の前に建っているのです。

このアパート、カーテンをしていなければホームで電車を待っている乗客と目が合うレベル。朝、寝起きの顔を乗客にお披露目する羽目になるかもしれません。そして朝4時台から始まる電車の騒音。ガタンゴトン、ガタンゴトン……。

「いや、こんなところ住めるわけがない!」と普通なら思うでしょう。でも、意外や意外、住人はなかなか出ていかないんです。

実際に住んでいる人に話を聞いてみると、「最初はうるさかったけど、慣れたら気にならない」「むしろ静かすぎる場所のほうが不安になる」とのこと。さらには「カーテンさえ閉めればプライバシーの問題は解決」「電車が来るたびに目覚ましになるから寝坊しない!」なんてポジティブな意見まで。

毎日電車の音を聞いているうちに、それが当たり前になり、逆に音がしないと落ち着かない。これはまるで、都会の雑踏に慣れた人が静かな田舎に行くと落ち着かないのと同じ現象かもしれません。

不動産投資の観点から見ても、これは興味深い事実です。デメリットと思われる要素が、住む人にとっては慣れの問題でしかなく、結果として退去率が低いというのは面白いポイント。

つまり、不動産投資において大事なのは、「普通の人が住めるか?」ではなく、「住んでくれる人がいるのか?」ということ。騒音&丸見えアパートでも、人が出ていかないなら、それは立派な資産なのです!

マッチポンプと自己矛盾がはびこる国、日本

世の中を見渡すと、「お前が火をつけたんやろ!」と突っ込みたくなる出来事が多すぎる。そう、マッチポンプが蔓延しているのだ。マッチポンプとは、簡単に言えば「自分で問題を作って、自分で解決してヒーローぶる」こと。例えば、

  • 企業「若者の〇〇離れが深刻です!」
    → いや、そもそもお前らが値上げしまくったり、使いにくくしたりしたんやろ!
  • 政治家「少子化対策が急務です!」
    → いや、今まで放置してたの誰やねん!しかも増税とか言ってるけど、それ逆効果やろ!
  • メディア「最近の若者はニュースを見ない!」
    → いや、見たくなるようなニュース作ってる?煽りと偏向報道ばっかやん!

こんな感じで、「お前が原因やん!」というボケ(マッチポンプ)が日本社会にはびこっている。

突っ込む人材、人手不足問題

問題は、こうしたマッチポンプや自己矛盾に**「おい、それおかしいやろ!」**と突っ込む人材が圧倒的に不足していること。お笑いでいうと、「ボケは大量にいるのに、突っ込むやつがいない」状態。これはもう、漫才として成立していない。

突っ込みがいないから、ボケがボケのまま暴走する。結果として、意味不明な政策や理不尽な社会問題が量産される。日本社会は、まるで突っ込みのいないコント番組のような状態になっているのだ。

なぜ突っ込みが足りないのか?

  1. 空気を読む文化
    「突っ込んだら場の空気が悪くなる」と思ってしまう。でも、そもそもその場の空気がすでに悪いんだから、突っ込んだほうがマシでは?
  2. 同調圧力
    「みんな黙ってるんだから、お前も黙れ」的な風潮。いや、全員ボケに乗っかってどうするねん!
  3. 突っ込み不足教育
    学校では「先生に逆らうな」「決められたことに従え」と教えられる。つまり、突っ込みスキルを磨く機会がない。お笑い教育を導入すべきでは?

日本社会の突っ込み改革案

  1. 義務教育に「ツッコミの授業」を導入
    • 「それ矛盾してるやん!」と指摘する訓練を小学校から実施
    • 教科書の中にわざとボケを仕込んで、ツッコませる問題を出す
  2. 政治家・官僚にツッコミ試験を義務化
    • 「この政策、マッチポンプじゃないですか?」と聞かれて詰まるやつは即失格
  3. メディアの報道に突っ込み枠を追加
    • 「今のニュース、自己矛盾してますよね?」とその場で指摘する専門家を配置
  4. SNSで「#突っ込み大喜利」開催
    • 企業や政治家の発言に対して、全国民が全力で突っ込む文化を推奨

こうして日本に「突っ込み文化」を根付かせれば、マッチポンプや自己矛盾の横行を防ぐことができるだろう。

結論:みんな、もっと突っ込もう!

ボケっぱなしの社会はしんどい。突っ込みがいないと、同じボケが何度も繰り返され、最終的に全員が「なんかおかしいけど、まあええか…」と諦めムードになってしまう。そんなのはつまらない。

だから、もっと突っ込もう。「おい、それおかしいやろ!」と声を上げよう。突っ込みこそが、社会をまともにする唯一の武器なのだから。

紀藤正樹弁護士が、石破首相が参院選において自民党公認の杉田水脈氏の発言に「強烈な違和感」を覚えた

紀藤正樹弁護士が、石破首相が参院選において自民党公認の杉田水脈氏の発言に「強烈な違和感」を覚えたとする報道について言及した。これについて、私はこの国の社会問題として常々指摘している「マッチポンプ」と「自己矛盾」の典型例だと考える。

まず、「マッチポンプ」とは、自ら火をつけておきながら、さもそれを消火しようとするかのように振る舞うことを指す。この場合、自民党が杉田水脈氏を公認しながら、その発言に違和感を示すという構図が、まさに「マッチポンプ」そのものである。党として公認する以上、候補者の発言や思想は事前に把握しているはずであり、それを後から批判するのは筋が通らない。

また、「自己矛盾」の側面も顕著である。石破氏が本当に杉田氏の発言に違和感を持つのであれば、なぜ自民党は彼女を公認したのか。この矛盾を放置したまま「違和感がある」と述べることは、まさに政治的な自己矛盾であり、説明責任が求められる。党内での議論や選定プロセスにおいて、そのような意見を反映させる機会はなかったのか、あるいは意図的に無視されたのかが問われるべきである。

このような事例は、日本の政治だけでなく社会全体に広く見られる傾向である。企業、行政、メディアなど、多くの場面で「マッチポンプ」と「自己矛盾」が繰り返され、問題が根本的に解決されることなく、表面的な批判と対応の繰り返しに終始している。結果として、社会全体が不信感を募らせ、建設的な議論が進みにくくなっている。

政治家や政党が本当に社会の課題を解決する気があるのならば、まずは自らの行動と言葉の整合性を保つことが不可欠である。その場しのぎの対応ではなく、真に責任ある政治を求めたい。

1980年代後半のファミレス出店ラッシュと不動産事情

1980年代後半、日本はバブル景気の真っ只中。その恩恵を受け、全国でファミリーレストラン(ファミレス)の出店ラッシュが起こりました。「右を向けばファミレス、左を向いてもファミレス」と言われるほど、街のいたるところで新規オープンが相次ぎました。今回は、このファミレスブームと不動産市場の関係について振り返ってみたいと思います。

バブル経済が生んだファミレスブーム

バブル景気の影響で、不動産価格が急騰し、多くの企業が不動産投資に走りました。不動産業者や地主にとっては、店舗用地を確保し、テナントに貸し出すことで莫大な利益を得るチャンスでした。その流れの中で、安定した集客力を誇るファミレスチェーンが次々と新規出店を果たしました。

特に郊外の国道沿いや駅前など、アクセスの良い場所には、デニーズ、ガスト、ジョナサン、ロイヤルホストなどの大手チェーンがしのぎを削るように出店しました。土地価格が上がり続ける中でも、長期的な賃貸契約を結ぶことで出店ラッシュは加速。これにより、都市部だけでなく、地方都市にもファミレスがどんどん増えていきました。

夜通し語り明かしたファミレスの風景

当時のファミレスは、ただ食事をするだけの場所ではなく、深夜まで友人と語り合う憩いの場でもありました。24時間営業の店舗も多く、学校帰りや仕事終わりに集まり、終電を逃してもファミレスで朝を迎えることが珍しくなかった時代です。

バブル期には、若者だけでなくビジネスマンも多く、商談や打ち合わせが行われることも。高騰する不動産市場の影響で、カフェや個人経営の喫茶店の家賃負担が増す中、手頃な価格で長時間滞在できるファミレスは、多くの人々にとって貴重な存在でした。

不動産バブルとファミレスの関係

バブル期の不動産市場は、地価が高騰し続けることを前提に成り立っていました。ファミレスもその恩恵を受け、積極的に出店戦略を進めましたが、一方で高騰した土地価格の影響を受け、出店コストが上昇。結果的に、売上以上に不動産コストが経営を圧迫するケースも出てきました。

また、当時は「土地を持っていれば儲かる」とされ、多くの企業が本業とは関係なく不動産を買い漁る動きもありました。ファミレスチェーンも例外ではなく、一部の企業は自社所有の不動産を増やし、資産価値の上昇を狙っていました。

バブル崩壊後のファミレス業界

しかし、1991年にバブルが崩壊すると、状況は一変。地価の下落、賃料の見直し、消費の冷え込みなどが重なり、多くのファミレスが厳しい経営を迫られることになりました。

特に、バブル期に高値で土地を取得していた店舗は、固定費の高さが致命傷となり、閉店を余儀なくされるケースが増加。これにより、1990年代後半にはファミレス業界も淘汰の時代を迎えました。

まとめ

1980年代後半のファミレス出店ラッシュは、まさにバブル経済の象徴のひとつでした。不動産価格の高騰と、それに伴う企業の出店戦略が密接に結びつき、一時的な繁栄を生み出しました。しかし、バブル崩壊後の厳しい経営環境の中で、多くのファミレスが撤退や業態転換を迫られたことも事実です。

それでも、あの時代の「右を向けばファミレス、左を向いてもファミレス」という風景の中で、夜通し語り明かした思い出は、今も多くの人々の記憶に残っています。バブル経済の遺産として語り継がれるファミレス文化は、今もなお進化を続けています。

「職場結婚で雇い止め」宮崎産経大が処分撤回 教員側と和解成立

宮崎産業経営大学(宮崎産経大)の「職場結婚による雇い止め」問題が波紋を広げました。この大学には法学部があるにもかかわらず、なぜ法的に問題のある対応を行ったのでしょうか。最終的に大学側は処分を撤回し、教員側と和解しましたが、その背景には自己矛盾が見え隠れします。まるでマッチポンプのような対応で、何かの冗談かと思うような展開です。

法学部がありながら法に反する決定をした矛盾

日本の法律では、婚姻を理由とする不利益な取り扱いは禁止されています。男女雇用機会均等法第9条には「婚姻を理由として労働者を解雇し、または不利益な取扱いをしてはならない」と明確に定められています。また、有期雇用契約の雇い止めも、労働契約法第19条により無制限に行うことはできません。

法学を教える大学がこのような基本的な法律を無視した対応をしたことは、大きな疑問を呼びます。法学部のある大学であれば、少なくとも学内の専門家が法的リスクを指摘し、適切な対応を助言するべきでした。それにもかかわらず処分が行われたことは、大学の意思決定プロセスに重大な問題があることを示唆しています。

大学側の判断ミスとその背景

宮崎産経大がこのような決定を下した背景には、以下のような要因が考えられます。

  1. 管理職・経営陣の法的知識不足 法学部があるからといって、大学全体が法律に精通しているとは限りません。大学運営の意思決定者が法的リスクを正しく理解していなかった可能性があります。
  2. 慣習的な組織文化 企業や大学の一部では、未だに「職場結婚=不利益処分」という古い考え方が根付いていることがあります。こうした価値観が法よりも優先されてしまったのかもしれません。
  3. 労働問題への軽視 非正規雇用の教員は契約更新のたびに不安定な立場に置かれがちです。今回の件も、大学側が「契約更新しなければいい」と軽く考えた結果、問題を引き起こした可能性があります。

結果としての処分撤回と和解

最終的に大学は処分を撤回し、教員側と和解しました。これは大学側が法的な問題を認識し、争いを長引かせることのデメリットを理解した結果と考えられます。しかし、そもそも法的に問題のある処分を下したこと自体が、大学の信頼を損なうものです。

法を教える立場にある大学が、自ら法に反する決定を行うことは大きな自己矛盾です。今回の事例は、組織内で法律の知識をどのように活かし、実践していくかという問題を改めて浮き彫りにしました。

まさに自ら問題を作り出して自ら火消しをするマッチポンプのような対応で、こんなことが現実に起こるのかと疑いたくなります。

今後、同様の問題が起こらないよう、大学側には透明性のある意思決定プロセスと、法律を正しく適用する体制の整備が求められます。

バブル期、1990年代の投資用不動産営業といえば、まさに”熱い”時代だった。

当時の営業スタイルは、今のようなデジタルマーケティングやYouTubeでの広告などとはまるで違う。昼夜を問わず、お客様と真正面から向き合い、関係性を深めながら、なんとなく盛り上がった勢いで契約を結ぶ。そんな泥臭くも人間味あふれる営業が当たり前だった。

深夜にお客様と面談するのも珍しくなかったし、一緒に麻雀を打ったり、ゴルフに行ったりすることも日常茶飯事。接待というよりは、むしろ共に楽しみながら信頼関係を築くのが営業マンの腕の見せどころだった。お客様の懐に入り込み、”この人から買ってもいいかな”と思ってもらう。そんな営業スタイルが主流だったのだ。

最近では、不動産営業のイメージといえば、楽待などのYouTubeでたまに目にするような強引で恫喝まがいの手法を思い浮かべる人もいるかもしれない。しかし、バブル期や1990年代の営業マンたちのスタイルは、決してそんなものではなかった。

確かに、押しの強い営業トークはあったが、それは恫喝ではなく、あくまでも熱意の表れ。お客様の背中をそっと押すような形で、”せっかくだから一緒に夢を見ませんか?”という雰囲気作りが大切だったのだ。

ある先輩営業マンは、”お客様が決められないなら、俺が決めてやる!”と言って、冗談交じりに契約書を差し出すこともあった。お客様も苦笑いしながら”しょうがないな”とサインする。そんな、どこか人情味のある世界だった。

契約が決まれば、そのまま深夜の寿司屋へ直行し、豪快に祝杯をあげる。売る側も買う側も、その場の熱気に酔いしれる。そうしてまた翌日も、新しいお客様と新たなドラマが始まるのだった。

時代が変わり、営業スタイルも変わった。しかし、バブル期や1990年代の投資用不動産営業には、今では味わえない”泥臭くも熱い”人間ドラマが確かにあったのである。

1990年代の投資用マンション営業——ファミレス店長と不動産投資ブーム

1990年代、日本の不動産投資市場は熱気を帯びていた。中でも、ファミリーレストランの店長たちは、不動産投資をする人が多かった。その理由は明確だ。多くのファミリーレストランは上場企業が経営しており、その店長たちは安定した収入を持ち、銀行の融資審査が通りやすかったのだ。

投資用マンションを販売する営業マンにとって、ファミレスの店長は格好のターゲットだった。電話帳を頼りに企業リストを漁る必要もなく、直接ファミレスに電話をかけて「店長いますか?」と聞けば、それだけで営業が始められた。店長の名前が分からなくても問題なし。営業マンは昼夜を問わず、電話をかけ続け、アポイントを取ることに専念した。

深夜のファミレスに呼び出される営業マン

ある日、私はファミレスの店長から「ちょっと話したいことがあるから、0時に店に来てくれ」と呼び出された。普通のビジネスなら深夜の商談はありえない。しかし、ファミレスの店長は遅くまで勤務するため、夜中に話を聞くのは日常茶飯事だった。

店に着くと、そこには店長だけでなく、他のファミレスの店長仲間も集まっていた。すでに仕事を終え、リラックスした様子の彼らは、コーヒーを片手に不動産投資の話を始めた。

「この前買ったワンルーム、利回りが結構いいんだよ」 「でも管理費が思ったより高くてさ……」 「銀行のローン、どこが一番条件いいかな?」

私も営業マンとして、彼らの話に加わるしかなかった。マンションの利回りや融資条件、今後の市場動向……深夜のファミレスは、まるで不動産投資サロンのような空間になっていた。

気がつけば、もう朝の5時。そろそろ帰ろうかと思ったそのとき、「せっかくだから、もう一軒行こうか!」という声が上がった。ファミレス店長たちは、夜が明けるまで投資の話を続ける気満々だった。

90年代ならではの営業スタイル

このように、1990年代の投資用マンション営業は、今とは異なる独特の文化があった。SNSもメールも普及していない時代、営業は対面と電話がすべて。ターゲットを見つける方法も、まるで今の時代のようにデータ分析を駆使した戦略的アプローチではなく、「電話をかけまくる」「深夜でも会いに行く」といった泥臭いものだった。

だが、その泥臭さこそが、人と人とのつながりを生み、信頼を築く営業スタイルだったのかもしれない。

今振り返れば、あの深夜のファミレスでの時間は、90年代の不動産投資ブームを象徴する出来事のひとつだったのだと思う。