「昭和は“ご案内中に契約”だった。令和は“クリックされず終了”です」― マンション営業、30年の落差を嘆く話

かつて、マンション営業は**「現場勝負」だった。
今や、マンション営業は
「ウェブ集客」「無反応との戦い」**だ。

バブル崩壊後の“分譲現場”に身を置いていた筆者が、
あの頃の「飛び込み→内覧→即日契約」の熱量と、
今の「問い合わせゼロ→PV解析→広告費だけが出ていく」営業の日々を比べてみた。

🧱第一章:「ご案内→タバコ→契約書」だったあの頃

  • 初回の案内は「3LDK+モデルルーム+缶コーヒー」
  • 同行してくれた奥様の「日当たりいいわね」で9割勝ち
  • ご主人が喫煙所で「どうすっかな」とタバコを吸う間に、上司が契約書を出していた

「本日ご契約なら100万引けます。迷う理由、あります?」

まさに“瞬発営業”。
パンフレットより押印用の朱肉がよく使われていた。

🖥第二章:「まず資料請求を…」で終わる令和

  • 購入者はまず「スーモ」や「ホームズ」で絞り込み
  • 間取りと価格は見てるが、誰とも話したくない
  • 資料請求の9割は「冷やかし」または「比較用PDF収集」

Zoomで案内したが、画面の向こうに人影がない。

「接続が不安定なので、また後日」→二度と繋がらない

営業は“相手の迷い”ではなく、“興味の無さ”と戦う。

🧾第三章:比較表で見る「マンション営業の地殻変動」

項目昭和〜平成初期令和時代
初回対応モデルルームへ即案内メール自動返信+PDF送付
商談時間1〜2時間でクロージング数回Zoomでも未決
セールストーク「今日買うと〇万円引き」「将来の資産価値は…」
契約率内覧客のうち3〜5組に1組資料請求100件に1件以下
武器フットワークと人間力Web広告とシステム連携
ライバル物件無関心とSNSの悪評

🧠第四章:「売る」のではなく、「選ばれる」しかない時代へ

今の営業は「買ってください」ではない。
「もし良ければ…」と手を差し出して、選ばれるのを待つ。
まるで就活。まるで婚活。

売る側が主導権を持っていた時代は終わった。

それでも、ひとつだけ変わらないものがある。
それは、「この人から買ってよかった」と思わせる営業の力

🔚まとめ:パンフより「営業マンの顔」が武器だった時代

バブル期には、パンフレットより営業マンの「顔」や「勢い」が契約を動かした。
今では、パンフはPDF、営業マンはLINEのアイコン程度。

だけどやっぱり、
「この人の話を聞いてみたい」と思ってもらえる営業マンが、
最後に勝つのかもしれない。

バブルの接待は土地が動いた。令和のZoomは画面が固まる。

―不動産営業“栄光の昭和”と“自己責任の令和”を比べてみた

「24時間戦えますか?」
かつてテレビからそんなコピーが流れ、営業マンはスーツの下に黄色いリゲインを隠し持ち、夜の銀座に消えていった。

港区西麻布、深夜2時。
地主との交渉は焼肉の網越しに、決裁はスナックのカウンターで。
午前3時、ようやく口頭でOKをもらい、明け方にタクシーで事務所へ。
汗と酒と、ちょっとしたハッタリで、土地が動いた時代だった。

あれから30年以上。今では物件情報はPDF、接客はZoom。
「背景ぼかし」が“営業モード”になり、FAXの代わりにLINEで現地案内。

今回は、バブル期に不動産業界で働いた筆者が、あの“泥臭い営業”と今の“スマート営業”を、笑いと涙を交えて振り返ります。

🥃第一章:バブル期の不動産営業は“夜”に勝負が決まった

1988年。私の業界の先輩は当時、都内某不動産会社の営業課長として、港区の再開発案件を担当していた。
「田島さん(仮名)」は渋谷で焼肉屋を3軒経営する地主だった。

電話での交渉は、まず「今夜、渋谷で一杯どう?」から始まる。
一次会は焼肉、二次会はクラブ、三次会はカラオケ付きスナック。
ようやく3軒目の締めで「おたくに任せてもいいかな…」と田島さんが言ったとき、私は心の中でガッツポーズをしていた。

名刺は分厚く、ポケベルは鳴りっぱなし。
「地上げ」と「根回し」と「宴席」の三位一体で、物件は動いた。

「情報は銀座のママが持っている」なんて冗談が、本気で信じられていた。

💻第二章:令和の営業は“背景ぼかし”で始まる

2025年。今、私が扱っているのは杉並区の築古アパート。
相続した地主の娘さんが大阪に住んでおり、商談はすべてZoom。
初回打ち合わせで「画面共有いいですか?」と聞かれ、
契約書はクラウド上で電子サイン、委任状はPDF+スマホ写真。

土地が動く瞬間に立ち会えない、というより“立ち会う必要がない”。

しかも、相手の表情はマスク付きか、Zoomの背景に溶けている。
意思決定の裏側にある“心の揺れ”を読み取る機会が減った。

正確で、便利で、無機質。温度のない営業が標準になった。

🔄第三章:比較してみた「バブル営業」と「令和営業」

項目バブル営業(1980年代)令和営業(2020年代)
顧客対応同伴出勤、酒の席で信頼構築Zoom、LINEで論理重視
情報収集飲み屋、同業者の噂、ママの一言SUUMO、ATBB、登記情報API
商談の現場銀座・赤坂のクラブ・料亭自宅の書斎・カフェのWi-Fi席
決裁タイミング「じゃあ売るよ」で口頭OK書類チェック→電子署名
クレーム対応土下座、菓子折り、飲み直しメール返信+証拠提出
信頼構築人間関係と根回し論理とデータと即レス力

人間関係で「上げた」バブル、効率性で「逃げる」令和。

🎤第四章:失われた“ドラマ”と得られた“効率”

バブルの頃、営業マンは“役者”だった。
地主の過去も家族構成も酒の席で自然に引き出し、
話の合間に「測量の話」や「セットバック交渉」がねじ込まれる。

一方の令和では、役者ではなく“マネージャー”が求められている。
すべてが記録され、比較され、コスパで評価される。
酒を飲まなくても、距離は詰まらない。けれど、誤解は減る。

どちらがいいか、とは言えない。
ただひとつだけ、昔の営業の方が「印象」は残った。

🏁まとめ:Zoomの画面越しに、銀座の灯りが見えるか?

バブル営業の本質は「人に賭ける」ことだった。
令和営業の本質は「効率に賭ける」ことかもしれない。

でも、土地を動かす瞬間というのは、今も昔も変わらない。
「この人なら任せてもいい」と、相手が思ってくれるかどうか。
それだけは、どんなに時代が進んでも、Zoomには映らない。

かつて、銀座のクラブでママに言われた言葉がある。

「あんた、人に覚えられてなんぼの商売よ」

いまだにその言葉が、画面越しの沈黙の中で、ふと響くときがある。

📸「リゲイン」CM:24時間戦えますか(YouTubeリンク)

米5kgが1000円安くなると大騒ぎ。その背後で「本当の減税論」がもみ消されてる件

日本人の一年間の米消費量は約50kg。これを「5kgあたり1000円下がる!」と大騒ぎしているわけですが、冷静に見ればこれは“枝葉の話”です。

「おにぎり1個無料キャンペーン」みたいな分かりやすさで、米だけをピックアップして大盛り中の政府。しかも5kgあたり1000円安くなりますよ。ええ、大事なことですよ。年間にして一人5000円のコストカット。

でもちょっと待ってください。

「米値下げ」と「消費税5%」どっちが家計が減るのか

ここでひとつ比較。

  • 米5kgが1000円安くなる
    • 年間一人あたりで5000円節約
    • 全国で約6200億円の節約
  • 消費税10%→5%
    • 年間一世帯で5万〜15万円減税
    • 全国で約20兆円の減税インパクト

さて、どっちが本気ですか?

なぜ米だけで大騒ぎになるのか?

  1. 家庭に分かりやすい問題
    • 「この前のコシヒカリ、5kgで3000円だったわよ!」
  2. 政治役人の成果アピールに便利
    • 「米価格を一般家庭相場にしました」
  3. 財務省も準々許す
    • 消費税には手をつけるな
    • けど農民仕様なら許す
  4. メディアが褒めやすい
    • スーパーのチラシも撮りやすい
    • 食材はテレビと相性最高

そして実は…

ここが本題。

財務省は、備蓄米の市場放出を「国民支援」と言いつつ、 実質的には“安値で買って、高値で出す”スキームで帳簿を操作して利ザヤを確保している

そもそも備蓄米の買入れには予算がつき、放出時には農業団体への販売や業者経由での補助金が流れる。 つまり「米価調整」という大義名分の裏で、“財務省が地味に儲けてる”。

それを「国民のための価格調整」と報道することで、消費税や社会保険料の議論から目を逸らさせるわけです。

これ、話をすり替えてませんか?

まとめ:「米の価格は気にするが、税金はすり抜ける」日本政治

「日本人の味方」にスポットを居置した政府。本当に必要な法人税改革も消費税要件も、気づかれなければやらない。

さて、次の精米はどこの特区の物件で収穫されるのでしょうか。

最後に一言。

「米値下げのニュースは、税金減税論のブラインドだ」とは言いすぎでしょうか?

この話題は、まだ「米のいちまい」でしかないのです。

「人にはいくつもの顔がある」──Gメン75から学んだ、不動産営業の本質とは?

こんにちは。

不動産営業の現場に身を置いていると、つくづく「人間って複雑だな」と感じます。今日は、そんな日々の思いと、私の心に残ったテレビドラマ『Gメン75』第141話「団地奥様族の犯罪」の名シーンを通じて、“人を見る目”の大切さについてお話ししたいと思います。

「どの顔も本当の顔かもわからんな」

この回では、速水刑事が殺された女性・塚本加代子について「彼女の本当の顔を知らなければ犯人は絞れない」と悩む場面があります。それに対して黒木警視はこう言います。

「どの顔も本当の顔かもわからんな。人間にはみんな裏表がある。一面だけしか見ていない者にはそれしかわからんかもしらんが、人間はそんな単純なものじゃない。」

この言葉、実は私たち不動産営業にとっても深く刺さるものがあります。

お客様の「表情」だけではわからないこと

ある日、マンション売却を相談された女性は、外では完璧な主婦として知られ、地域の行事にも積極的に参加していました。いつもにこやかで礼儀正しく、近所でも評判の良い方でした。

しかし、打ち合わせの際にふと見せた素の表情や、ご主人との電話中の声のトーンはまるで別人のように変わりました。

「家のことも夫のことも、全部私が抱え込んでるの。でも表では笑っていないと誰も信用しないのよ。」

明るい仮面の下には、怒りや悲しみを押し殺しながら生きるもうひとつの顔がありました。

家は「生活の舞台」、人生のドラマが詰まっている

不動産とは、ただの物件ではありません。そこには人の喜びも悲しみも、努力や葛藤、時には愛憎が入り混じっています。

『Gメン75』で、殺された加代子について語られる証言はまちまちです。
「子ども思いのまじめな母」
「年下の男を手玉にとる女」
「欲の塊のような女」

どれが本当か?黒木警視はこう言いました。

「生きるということは大変なことだ。そのため我々は無意識のうちにいろんな顔の使い分けをしている。加代子はそうやって一生懸命生きていたに相違ないんだ。」

不動産の売却や購入を決断する背景には、こうした“一生懸命生きてきた人生の一部”が隠れているのだと、私たちは忘れてはいけません。

「人を見る目」を養うことが営業の本質

物件の相場を読む力、契約書の読み解き方、税務や法律の知識ももちろん大切。でもそれ以上に、私が営業として一番大事にしているのは「人を見る目」です。

人は誰しも、状況によって顔が変わるものです。そして、たとえそれが「仮面」に見えたとしても、その下にはちゃんと理由がある。

だから私は、お客様がどんな状況にあっても、その人なりの「一生懸命」を信じて寄り添いたいと思うのです。

最後に

『Gメン75』の黒木警視の言葉を、私はこれからも心の指針としていきたい。

「我々警察官は犯罪捜査のテクニックを学ぶということも非常に大事なことだが、それ以上に人を見る目を養う必要がありそうだ」

これはそのまま、不動産のプロにとっても当てはまる言葉だと思っています。

住まいの売却、購入、相続に悩まれたとき、どうか安心して私たちにご相談ください。見えないところにこそ、真実があり、寄り添うべき「本当の顔」があるのですから。

ご相談・お問い合わせはお気軽に。
クローバープロパティでは、物件だけでなく「人」に向き合う不動産取引を大切にしています。

【ダブルスタンダードの美学】財務省と不動産DMの“ウラとオモテ”を読み解く!

最近、ポストを開けるとまた来てました。
例のやつです。不動産仲介会社の「売って!お願い!」DM

「今が売り時です!」「ピークです!」「将来暴落します!」
とにかく“今すぐ売れ”の大合唱。
まるで火事場から逃げろと叫ばれてるかのよう。

でもふと気づくんですよね。
あれ……この会社、別のページではこんなこと言ってませんでした?

「住宅ローン金利が上がる前に!今が買い時です!」

ん?えっ?
「売れ!」と「買え!」を同時に叫んでません?

🏦 一方その頃、霞が関では…

場面は変わって財務省。
いつものように国会で厳かにこう言い放ちます。

「このままでは日本の財政は破綻します。消費税引き上げが不可避です」

はい来た、破綻論。
もう何十年も言ってるけど、いつ破綻するんだろう……。

ところがその舌の根も乾かぬうちに、国債の投資家向けパンフレットではこうです。

「日本国債は世界有数の安全資産。格付けも安定。流動性抜群」

お、おぅ……?
破綻する国が安全資産……?

💡 ここで気づく「構造の一致」

不動産仲介も、財務省も、使ってるテクニックは同じなんです。

話す相手メッセージ真の目的
売主(あなた)今が売り時、逃げて!仲介手数料が欲しい
買主(別の誰か)今が買い時、急いで!仲介手数料が欲しい
国民(納税者)財政破綻するぞ!増税したい
投資家(債券買い手)日本国債は安全資産国債を買ってもらいたい

表向きの言葉は違っても、目的は全部「こちらの懐を温めること」

🎭 もはや芸術、ダブルスタンダードのプロ技

ここまでくると、これはもう一種のアートです。
真逆のことを同時に言っても怒られないどころか、拍手喝采される。

まるで、

  • カップラーメンに「ヘルシー」って書いてあるような
  • 焼き肉食べ放題の横に「今月の健康キャンペーン」って貼ってあるような

そんな世界。

🙈 じゃあ誰を信じればいいの?

  • 財務省は「破綻する」と言いながら国債を売り、
  • 不動産屋は「暴落する」と言いながら家を買わせ、
  • 私たちはその間で右往左往……

でも、どちらも間違ってるとは限らないんです。
実際、彼らの言葉は「誰にとっての真実か」で変わってるだけ。

🧘‍♂️ 結局のところ…

そう、結局のところ、

いろんな立場の人が、いろんな思惑で、いろんなことを言ってくる。
でも、最終的にどうするかは、自分で判断するしかないんです。

流されずに、自分の頭で考える。
それがダブルスタンダード社会を泳ぎ切る、唯一のサバイバル術かもしれません。

P.S.
でもまあ……ポストのDM、毎回テイスト変えてくるから、
読み物としてはちょっと楽しみにしてる自分もいます(笑)

【バブル時代/1989年〜1992年放映】

笑ゥせぇるすまん(作者:藤子不二雄A) ──その“心のスキマ”、地獄で埋めてませんか?

こんにちは。今日はちょっとブラックで、でもどこかリアルなお話を。

バブルの余韻が街を包み、スーツの肩パッドが異様に主張していたあの頃。
世の中は浮かれていたけど、誰もが「なにか足りない」と思っていた時代でした。

そんな“心のスキマ”にスッと忍び寄ってくるのが、あの男。

\ ドーーーーン!! /
(心の中であのSEをどうぞ)

黒いセールスマン、喪黒福造

喪黒福造(もぐろ・ふくぞう)
自称「セールスマン」。黒服に不気味な笑顔。
彼の売り文句はたったひとつ。

「心のスキマ、お埋めします。」

ええ、聞こえはいいんです。
でも実際に彼がやっているのは、“スキマを埋める”どころか、
その隙間から手を突っ込んで、魂ごと引きずり出し、地獄へご招待というお仕事。

放映はバブル崩壊直前!まさに“欲望の時代”

このアニメが放映されたのは1989年〜1992年
ちょうどバブル絶頂から崩壊に向かう、日本の価値観が音を立てて崩れていく時代です。

  • ブランドに憧れ、見栄に生きる
  • 成功至上主義、出世競争、会社は人生
  • お金があれば何でも手に入ると思ってた

……そんな風潮の中で、喪黒福造が次々に現れては、「はい、地獄行きでーす」と欲望に溺れた人々をあの世行きにしていく

アニメなのにどこかリアルで、笑えないけど笑っちゃう。
まさに「社会風刺」そのものでした。

こんなサービス、誰が得するの?

喪黒さんのサービスはこうです:

  1. 欲望に悩むターゲットを発見
  2. 無料で夢のようなチャンスを与える
  3. ただし「○○はしないでください」と忠告
  4. 忠告を破る
  5. 地獄へドーーーン!!

例:

「あなた、ストレス溜まってますね。この秘密のバーのVIPカードをどうぞ。でも、会社の人間には絶対に見せないでくださいね」
→見せる
→バレる
→会社クビ、家庭崩壊、夜の闇に消える

……いや、落とす気満々じゃないですか、喪黒さん。

■ “人生の落とし穴”を笑って見せる男

喪黒福造の恐ろしさは、「善意の皮をかぶった地獄送り」なところ。

彼は相手の悩みを本当に理解しているし、最初は本気で助けてくれているように見える

でもその実態は、

「人間って、ちょっとチャンスを与えるとすぐ調子に乗って、破滅するんですよ。見てて面白いでしょ?」

という冷酷な観察者ポジション
まるでバブル期の日本そのものをあざ笑うようです。

結論:そのスキマ、黒服に埋めさせるな

「笑ゥせぇるすまん」は一見、シュールなギャグアニメ。
でもその裏には、こんなメッセージが込められていたのかもしれません。

  • 欲に目がくらんだ瞬間、人は壊れる
  • 自分の弱さを他人に埋めてもらってはならない
  • 幸せを他人任せにした時点で、もう詰み

そして何より、

「心のスキマ、お埋めします」なんて甘い言葉に、人生を預けてはいけない。

カウンセリングに行くか、温泉にでも行きましょう。
黒服の男だけは、全力で避けてください。

都市の変化とともに消えた風景──リゾート・住宅街・飲食店の盛衰から見る街の再編

かつて日本には、都心から少し離れたリゾートマンションの1階に高級レストランが並び、住宅街の片隅には個人経営の飲食店が立ち並ぶ、そんな風景が当たり前のように存在していました。しかし、今ではそれらの多くが姿を消し、新しい用途へと姿を変えています。

リゾートマンションと高級店舗の栄枯盛衰

1980年代から90年代初頭にかけて、リゾートマンションブームが日本を席巻しました。その象徴として、マンションの1階に設けられた高級レストランやバーは「非日常の生活空間」を演出し、所有者のステータスを象徴する存在でした。しかしバブル崩壊後、リゾート需要の急落とともにそれらの店舗は次々に閉店。

  • リゾート利用者の減少
  • 管理費や家賃の高騰
  • 観光客・外部客の不足

といった要因が複合的に作用し、現在では空きスペースや住戸転用、あるいは倉庫化されている例が目立ちます。

住宅街の飲食店が消えた理由

駅から離れた住宅地にもかつては定食屋、中華屋、喫茶店といった店舗が点在し、地域住民の交流拠点となっていました。ところが、これらも今や風前の灯です。

主な要因には:

  • 共働き世帯の増加による昼間人口の減少
  • 郊外型チェーン店・大型商業施設への集客集中
  • SNSやグルメサイトによる飲食店の選別圧力
  • 店主の高齢化と後継者不足

などがあり、特に「平日の昼に客がいない」という構造的問題が、地域の個人店舗を苦しめました。

西新宿の温泉街

ちなみに、かつて東京の西新宿には「温泉街」が存在していました。新宿という都心から程近い場所で、日常生活の中に温泉を取り入れるというユニークな文化があったのです。1960年代から1980年代にかけては、ビジネスマンや観光客が集まる場所として、温泉施設が多く立ち並びました。しかし、高度経済成長の終息とともに、都市化が進み、西新宿の温泉街は次第にその姿を消していきました。

この変化には、都市の再開発ビジネス・住宅需要の変化が影響しています。温泉街に代わって、オフィスビルや商業施設が立ち並び、新宿はさらにビジネスエリアとして発展しました。

消えたものの代わりに発展したもの

こうして空いたスペース、あるいは変化した需要を埋める形で、以下のような業種・施設が急速に発展しています:

  • コンビニ・ドラッグストア・ファストフード
  • クリニック・調剤薬局・訪問介護拠点
  • 保育所・高齢者施設
  • サテライトオフィス・コワーキングスペース
  • 賃貸アパートや小規模集合住宅

つまり、非日常や社交の場が求められていた時代から、「生活機能」としての利便性が重視される時代への転換です。

専業主婦から共働きへ──街の機能が変わった

背景には明確な社会構造の変化があります。かつて、専業主婦が日中を地域で過ごすことが前提だった時代には、住宅街の飲食店や地元商店が生活と交流の場として成立していました。

しかし共働きが一般化した現在、

  • 昼間は住宅街が空洞化
  • 時短・効率・在宅を前提としたサービスが優位

という条件が、街の機能そのものを変えました。今求められているのは、”生活を回す”ためのインフラであり、”娯楽”や”交流”の場は二の次になりつつあります。

まとめ:都市の記憶とこれからの再編

都心近くのリゾートが消え、住宅街の飲食店が姿を消したその跡地には、今、新たな都市機能が芽吹いています。それはどれも”生活密着型”であり、時代のニーズを反映したものです。

街は生き物であり、人の暮らし方が変われば姿を変えます。過去の風景を懐かしむと同時に、いま求められている機能に目を向けることが、これからの街づくりや不動産活用にとって不可欠なのかもしれません。

「どさくさ」と「勇気」の分水嶺――国有地と戦後の巨人たち

戦後の焼け跡から、誰もが知るあの大都市は生まれました。焦土と混乱、配給と闇市。そんな中で、国有地が次々と払い下げられていったことを、今の若い世代はほとんど知りません。

土地は安かった。今の感覚からすれば信じられないほどに。

しかし――安いからといって、誰もがそれを「買えた」わけではありません。

そこには、未来を信じる勇気と、腹を括る決断が必要だったのです。

たとえば堤康次郎。西武グループの創始者として知られますが、彼が手がけたのはまさに焼け跡の中のインフラと土地の再編。買って、走らせて、建てて、人を集めていった。

小佐野賢治は「昭和の怪物」とも呼ばれたフィクサー。戦後すぐ、財閥解体の渦中で三井鉱山の払い下げに関わり、以後、政財界に深く食い込んでいく。「安く買えた」のは、単に運がよかったからではない。情報と、行動力と、リスクを取る胆力があったからです。

そして田中角栄。彼の「日本列島改造論」は土地の価値を根本から変えた。地方の山林が道路一本で金脈に変わる。そんな時代のうねりを、自らつくり出してしまう側の人間でした。田中と小佐野のラインを想起すれば、どの土地にどんな未来を描いていたか、想像に難くありません。

森ビルの森泰吉郎・森稔父子は、まさに都市開発の象徴。六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズの原点は、昭和30年代、まだ誰も「都心回帰」なんて言い出さない頃に、虫食いのように買い集めた土地にあります。ビルの建つ前、そこにビジョンを描けるか。それがすべてだったのです。

――振り返って、あのとき「買った人」を羨むのは簡単です。

けれど、その時点で、今のような発展を予測できた人など、ほとんどいなかった。むしろ「なぜそんな土地を?」と笑われていた人たちかもしれません。

混乱期の払い下げとは、単なる「掘り出し物」ではない。

見えない未来を買いに行く、覚悟の物語なのです。

「食料品の消費税ゼロで5兆円減収」の大ウソ?〜仕入控除を忘れたらダメでしょ〜

最近またもや、「食料品を消費税ゼロにしたら5兆円の税収減になります」というありがたい“試算”が話題になっている。

財政の健全化が〜、社会保障が〜、というお決まりのセリフとともに。

でも、ちょっと待って。

私たちが消費税について習ったのはいつだろうか。高校の政経?それとも簿記の授業?
たしか、「消費税は仕入税額控除方式で、最終消費者だけが負担する税」って、習ったよね?

それ、どこ行った?

ざっくり計算してみましょうか

「食料品ゼロにしたら税収が5兆円吹っ飛ぶ!」というのは、食料品の年間消費支出が約70兆円あるとして、

70兆円 × 8%(軽減税率)= 5.6兆円

……という、小学生でもできそうな計算に基づいているらしい。

なるほど、確かに見た目の売上税額はそうなる。

でも、これ**「仕入税額控除」の仕組みを完全に無視**してるの、気づいてる?

しかも不思議なことに、この超重要な視点にマスコミもコメンテーターも誰一人として突っ込まない。
「減収!大変だ!」という大合唱に、誰も「ちょっと待って、それ控除考慮してる?」とは言わないのだ。

仕入控除?なにそれおいしいの?という顔で、今日もニュースは流れていく。

仕入控除ってなんでしたっけ?

消費税って、売上に対する税額から仕入にかかる税額を引いて納める仕組み。
つまり、最終消費者が負担して終わる設計。

もし食料品がゼロ税率になったら、

  • 売上にかかる消費税:ゼロ
  • 仕入や経費にかかる消費税:控除できません

事業者にとっては「仕入税額控除」が使えなくなる=その分、コストになる。

これ、国にとっては増収要因なんですよ。

ざっくりモデルで再計算してみる

  • 食料品の売上:70兆円
  • 軽減税率:8% → 売上税額は5.6兆円
  • 仕入原価率:60% → 仕入部分は42兆円
  • 仕入れにかかる消費税(8%):3.36兆円

つまり、食料品をゼロ税率にすると、

  • 売上税額の減収:▲5.6兆円
  • 仕入控除ができなくなる:+3.36兆円(国に残る)

正味の減収:5.6 − 3.36 = 約2.2兆円

あれ?「5兆円」どころか半分以下なんですけど?

それでも「5兆円減収」って言い張るのはなぜ?

答えは簡単。控除分を見せると都合が悪いから。

  • ゼロ税率にしても、すべての税収が吹っ飛ぶわけではない
  • 「コストとして残る」ことで、国には一定の増収が発生する
  • 本当はそこまでの大惨事じゃないことがバレる

だから、「控除の話」は静かに棚上げされる。

そしてそれに、マスコミも有識者もなぜか誰もツッコミを入れない。
あれだけ「税金の使い道を監視するぞ!」と息巻いていた人たちが、
控除ひとつ無視されてもノーリアクション。これが日本の「議論」だ。

最後にひと言

もちろん、税制は簡単な話ではありません。でも、せめて「仕入控除」の話を抜いたまま「5兆円減収」と言い切るのは、不誠実すぎやしませんか。

私たちが納める消費税、
その構造くらい、ちゃんと踏まえて議論してほしい。

せめて、簿記3級レベルでは。

積立金という名の「カツアゲ」:マンション修繕と国家財政の搾取構造

「修繕積立金が足りないので、今すぐ増額を」
この言葉が全国のマンション管理組合で日常のように飛び交っています。まるでテンプレートのように使いまわされる危機感。その背後には、施工業者、管理会社、コンサルタントといった“業界の住人たち”が控えています。

言い方は柔らかくても、やっていることはこうです。

「お金がない? だったら、住民からもっと取ろう。取ったお金の中から“自分たちの取り分”を確保すればいい」

まるでそれは、国家の財政構造と瓜二つ。
財務省の「増税しないと日本は終わる」というスローガンと、どこか重なって見えるのは私だけでしょうか。

集めたお金の中から“抜かれる”構造

マンションの修繕積立金は、住民がコツコツ積み立てた将来への備えです。しかし、気づけばそこに群がる業者、コンサル、管理会社。実際にどれほどの工事が必要か、相見積もりを取ったかどうかも曖昧なまま、「これが相場です」と押し切られる。

その金額、本当に妥当ですか?

同じ規模、同じ築年数のマンションでも、積立金に2倍近い差があることも珍しくない。国レベルでも、同じ先進国なのに国民負担率には大きな開きがあります。日本が高負担なのは、決してサービスが行き届いているからではない。むしろ“見えない利権”にお金が吸われている。

天下りと利権のミニチュアモデル

財務省からの天下り先としての団体、業界団体、政治家、関係省庁…
これをミクロ化すると、マンション管理業界にも見事に当てはまります。

  • 管理会社 → 官僚の出向先のように固定された立場
  • コンサル → 業界に都合の良い“第三者”
  • 組合理事 → 政治家のように素人住民から選ばれ、判断を専門家に依存

つまり、住民=国民の財布から集めたお金が、構造的に“抜かれる”仕組みがここにもあるのです。

真の問題は“格差”ではない、“仕組みの不透明さ”だ

「同じマンションでも積立金に差がある」
「同じ国でも国民負担率が違う」

この違いを生む最大の要因は、“透明性”と“チェック機能”です。

  • 開かれた情報開示
  • 複数の業者からの競争見積
  • 住民の参加意識と教育

これがあるかないかで、かかるコストは劇的に変わります。国家財政も同様です。「なぜ日本はこんなに税金を払ってもサービスが悪いのか?」の答えは、結局この構造の中にあります。

最後に:搾取される側からの脱却

修繕積立金の値上げも、増税も、本当に必要なものなら納得もできます。
でも、「お金が足りない」からと言って、“集めたお金の中から抜く”構造が正当化されていいわけがありません。

この構造を温存してきたのは、「自分には難しい」「プロに任せよう」という無意識の思考停止。そしてその代償を払うのは、いつだって“無知な側”なのです。

搾取構造から脱するために必要なのは、声を上げること、知ること、関わること。

それはマンションでも、国家でも、まったく同じです。