「どさくさ」と「勇気」の分水嶺――国有地と戦後の巨人たち

戦後の焼け跡から、誰もが知るあの大都市は生まれました。焦土と混乱、配給と闇市。そんな中で、国有地が次々と払い下げられていったことを、今の若い世代はほとんど知りません。

土地は安かった。今の感覚からすれば信じられないほどに。

しかし――安いからといって、誰もがそれを「買えた」わけではありません。

そこには、未来を信じる勇気と、腹を括る決断が必要だったのです。

たとえば堤康次郎。西武グループの創始者として知られますが、彼が手がけたのはまさに焼け跡の中のインフラと土地の再編。買って、走らせて、建てて、人を集めていった。

小佐野賢治は「昭和の怪物」とも呼ばれたフィクサー。戦後すぐ、財閥解体の渦中で三井鉱山の払い下げに関わり、以後、政財界に深く食い込んでいく。「安く買えた」のは、単に運がよかったからではない。情報と、行動力と、リスクを取る胆力があったからです。

そして田中角栄。彼の「日本列島改造論」は土地の価値を根本から変えた。地方の山林が道路一本で金脈に変わる。そんな時代のうねりを、自らつくり出してしまう側の人間でした。田中と小佐野のラインを想起すれば、どの土地にどんな未来を描いていたか、想像に難くありません。

森ビルの森泰吉郎・森稔父子は、まさに都市開発の象徴。六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズの原点は、昭和30年代、まだ誰も「都心回帰」なんて言い出さない頃に、虫食いのように買い集めた土地にあります。ビルの建つ前、そこにビジョンを描けるか。それがすべてだったのです。

――振り返って、あのとき「買った人」を羨むのは簡単です。

けれど、その時点で、今のような発展を予測できた人など、ほとんどいなかった。むしろ「なぜそんな土地を?」と笑われていた人たちかもしれません。

混乱期の払い下げとは、単なる「掘り出し物」ではない。

見えない未来を買いに行く、覚悟の物語なのです。

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