1990年代の投資用マンション営業——ファミレス店長と不動産投資ブーム

1990年代、日本の不動産投資市場は熱気を帯びていた。中でも、ファミリーレストランの店長たちは、不動産投資をする人が多かった。その理由は明確だ。多くのファミリーレストランは上場企業が経営しており、その店長たちは安定した収入を持ち、銀行の融資審査が通りやすかったのだ。

投資用マンションを販売する営業マンにとって、ファミレスの店長は格好のターゲットだった。電話帳を頼りに企業リストを漁る必要もなく、直接ファミレスに電話をかけて「店長いますか?」と聞けば、それだけで営業が始められた。店長の名前が分からなくても問題なし。営業マンは昼夜を問わず、電話をかけ続け、アポイントを取ることに専念した。

深夜のファミレスに呼び出される営業マン

ある日、私はファミレスの店長から「ちょっと話したいことがあるから、0時に店に来てくれ」と呼び出された。普通のビジネスなら深夜の商談はありえない。しかし、ファミレスの店長は遅くまで勤務するため、夜中に話を聞くのは日常茶飯事だった。

店に着くと、そこには店長だけでなく、他のファミレスの店長仲間も集まっていた。すでに仕事を終え、リラックスした様子の彼らは、コーヒーを片手に不動産投資の話を始めた。

「この前買ったワンルーム、利回りが結構いいんだよ」 「でも管理費が思ったより高くてさ……」 「銀行のローン、どこが一番条件いいかな?」

私も営業マンとして、彼らの話に加わるしかなかった。マンションの利回りや融資条件、今後の市場動向……深夜のファミレスは、まるで不動産投資サロンのような空間になっていた。

気がつけば、もう朝の5時。そろそろ帰ろうかと思ったそのとき、「せっかくだから、もう一軒行こうか!」という声が上がった。ファミレス店長たちは、夜が明けるまで投資の話を続ける気満々だった。

90年代ならではの営業スタイル

このように、1990年代の投資用マンション営業は、今とは異なる独特の文化があった。SNSもメールも普及していない時代、営業は対面と電話がすべて。ターゲットを見つける方法も、まるで今の時代のようにデータ分析を駆使した戦略的アプローチではなく、「電話をかけまくる」「深夜でも会いに行く」といった泥臭いものだった。

だが、その泥臭さこそが、人と人とのつながりを生み、信頼を築く営業スタイルだったのかもしれない。

今振り返れば、あの深夜のファミレスでの時間は、90年代の不動産投資ブームを象徴する出来事のひとつだったのだと思う。

バブル期の不動産営業の光と影 ~1988年、新卒社員が見た驚愕の実態~

バブル経済が華やかに咲き乱れた1988年、日本の不動産業界は狂乱の時代を迎えていました。土地の価格は青天井、買えば必ず値上がりするという確信が市場を支配し、不動産営業マンたちはまさに「時代の寵児」となっていました。そんなバブルの最前線に、新卒として飛び込んだ私が目にしたのは、想像を絶する営業スタイルでした。

驚異的な営業成績を誇る上司の“秘策”

当時、私の上司だったA氏(仮名)は、飛ぶ鳥を落とす勢いで営業成績を上げ、役員の座にまであと一歩というところまで昇進していました。彼の成績が群を抜いていたのは、卓越した営業トークや市場の先読み能力によるものはもちろんのこと、まさかの「夜の営業術」でした。

彼は自ら「枕営業」と称し、富裕層の女性顧客たちと親密な関係を築くことで、次々と契約を成立させていたのです。曰く、「夜を共にすれば契約はもらったも同然」。彼の周囲では、次々と高級マンションや投資用物件が売れていき、社内では「色恋営業の達人」として一目置かれる存在になっていました。

成功の裏にある危うさ

当然ながら、そんな営業手法は倫理的にグレーゾーンどころか、ブラックに近いものでした。しかし、バブル経済の熱狂の中では、結果を出すことが何よりも求められました。A氏の成績が爆発的に伸びるにつれ、会社も彼の営業手法には暗黙の了解をしていたようでした。

ただ、バブルは永遠には続きません。市場が崩壊し、土地神話が崩れ去るとともに、A氏のやり方も次第に通用しなくなっていきました。顧客の資産が目減りし、投資の失敗で恨みを買うケースも出てきたのです。そして、ある日突然、彼は会社を去りました。噂によれば、取引先とのトラブルが原因だったとも、あるいは社内の派閥争いに敗れたとも言われています。

バブルの残像、そして今

バブル期の不動産営業は、まさに狂気と熱狂が入り混じる世界でした。A氏のような手法が横行していたのも、この時代ならではの現象だったのかもしれません。しかし、バブルが弾けた後の現実はあまりにも残酷でした。彼のように、時代の波に乗って急成長した者ほど、崩壊の波に飲み込まれるのも早かったのです。

30年以上経った今でも、バブル期の逸話は語り継がれています。しかし、A氏のような生き方が現代のビジネスシーンで通用するかといえば、答えは明らかでしょう。バブルの狂騒に踊らされた者たちの光と影を、私たちは忘れてはならないのかもしれません。

(※この物語は、実際にあった話をもとにしていますが、一部フィクションを交えております。)

バブル期の不動産営業のリアル——「行ってきます」と言って喫茶店へ

1988年、新卒で不動産業界に飛び込んだ私は、すぐにこの業界の“独特な”実態を知ることになった。バブル経済の真っ只中、不動産は「売れば売れる」「何をやっても儲かる」時代。そんな中で働く不動産営業マンたちの多くは、まさに自由気ままな日々を過ごしていた。

「行ってきます」と言って仕事せず

朝、出社すると上司や同僚が「行ってきます!」と元気よくオフィスを出ていく。新人だった私は、「営業活動ってこんなに外回りが多いのか」と感心していた。しかし、しばらくすると、誰も本当に仕事をしていないことに気づいた。

彼らはどこへ行くのか? その答えは簡単だった——喫茶店だ。

オフィスを出た営業マンたちは、行きつけの喫茶店に集まり、コーヒーを飲みながらスポーツ新聞を広げる。時には仲間と競馬やパチンコの話で盛り上がる。昼寝をする者もいる。とにかく「仕事」ではない時間を優雅に過ごしていた。

昼間は寝て、夜はバイト?

驚くことに、昼間の仕事をほとんどせず、夜間に別のバイトをしている営業マンもいた。昼間は外回りという名目でひたすら寝る。そして夜になるとクラブのボーイやガードマン、時には居酒屋の店員として働くのだ。

それでも営業の数字が立つのは、バブル経済のなせる技だった。不動産が飛ぶように売れ、適当にやっていても契約が取れる。お客様も「とにかく買えば値上がりする」と思っていたので、営業の努力など関係なかったのだ。

そんな営業スタイルでも成り立った時代

もちろん、すべての営業マンが怠けていたわけではない。真面目に働いていた人もいたし、トップ営業マンはしっかり稼いでいた。しかし、そうでなくても何とかなったのがこの時代だった。

バブルがはじけた後、多くの会社が倒産し、そんな営業スタイルは通用しなくなった。不動産業界は一変し、本当の実力が問われる時代へと突入した。

今振り返ると、あの時代は夢のようでもあり、異常でもあった。しかし、そんなバブル期の不動産営業を体験できたことは、ある意味貴重な経験だったのかもしれない。