「株価は業績に関係なし」——仕手相場の合い言葉
1980年代後半、日本の株式市場は空前のバブル景気に沸き、仕手筋による相場操縦が横行しました。その際によく言われたのが「株価は業績に関係なし」という合い言葉です。これは、企業の業績や実態とは無関係に、仕手筋の思惑によって株価が急騰・急落する現象を指しています。
コーリン産業と小谷光浩
仕手筋の代表的な人物の一人に、小谷光浩氏がいます。彼はコーリン産業を舞台に上場企業の株価を操作し、大きな注目を集めました。コーリン産業は当時、不動産事業を展開していましたが、実態以上に上場企業の株価を吊り上げていたことで知られています。
小谷氏は単なる株式の売買にとどまらず、経営にも深く関与し、最終的には取締役に就任しました。さらに、彼の影響下にある人物を社長に据え、経営の実権を掌握しようとしました。また、自身が支配する企業へ融資という形で資金を還流させるなど、巧妙な手法を駆使していました。加えて、経営陣に対して株の高値買取を要求し、要求に応じなければ暴力団に売り渡すと脅迫するなど、強引な手法も用いていました。
国際航業と小谷光浩
小谷氏は、上場企業である国際航業にも関与しました。国際航業は測量や地図事業を手がける企業でしたが、仕手筋の影響で株価が乱高下しました。この過程で、小谷氏が送り込んだ友納春樹氏が社長に就任し、重要な役割を果たしました。
友納春樹の離反
しかし、後に友納春樹氏は小谷光浩氏と距離を置くようになりました。その具体的な理由は明確ではありませんが、株価操作や経営方針を巡る意見の相違、あるいは小谷氏の手法に対する不信感が背景にあった可能性があります。
まとめ
バブル時代の仕手相場は、企業の実態とは無関係に株価が操られる典型的な例でした。コーリン産業による国際航業株の買い占めは、その象徴的な出来事の一つです。仕手筋の中心的な存在だった小谷光浩氏と、彼に近い立場にあった友納春樹氏の関係は、やがて決裂へと向かいました。
なお、小谷光浩氏の資金源の一つとして、当時の住友銀行の存在が指摘されています。
バブル崩壊後、こうした仕手相場の影響を受けた企業の多くが衰退し、日本の株式市場は大きな転換点を迎えることになりました。
