湯沢・苗場のリゾートマンションの現状とバブル期の思い出

かつてバブル期に数千万円で取引されていた新潟県湯沢町や苗場のリゾートマンションが、現在では驚くほどの低価格で取引されている現状があります。これらのマンションは、バブル崩壊後の地価低迷やスキーブームの終焉により、需要が大幅に減少し、価格が暴落しました。

バブル期の栄光とその後の凋落

バブル期には、湯沢や苗場はスキーリゾートとして非常に人気があり、多くのリゾートマンションが建設されました。特に、1982年に上越新幹線の越後湯沢駅が開業し、1985年には関越自動車道の前橋IC~湯沢IC間が開通したことで、アクセスが大幅に改善されました。これにより、東京からのアクセスが容易になり、多くの人々が別荘としてリゾートマンションを購入しました。

私もその頃、毎週のようにスキーに行っていました。リフトに乗るために1時間待ちなんてこともありましたし、帰りの高速道路も毎回大渋滞でした。それでも、スキー場の賑わいや雪山の美しさに魅了され、何度も足を運んだものです。

現在の状況と課題

しかし、バブル崩壊後、地価の低迷とスキーブームの終焉により、これらのリゾートマンションの需要は急激に減少しました。その結果、価格は大幅に下落し、一部のマンションは10万円以下で取引されることもありました。現在では、これらのマンションを売却する際には、買い手に対して「のしをつけて」渡すような状況も見受けられます。

まとめ

湯沢や苗場のリゾートマンションは、バブル期の栄光から一転して、現在では多くの課題を抱えています。しかし、テレワークの普及や地方移住の増加により、再び注目を集める可能性もあります。今後の動向に注目していきたいですね

昭和43年頃の西新宿・十二社周辺の温泉街

昭和43年(1968年)頃まで、西新宿の十二社(じゅうにそう)周辺には温泉街が存在していました。この地域は、江戸時代から続く景勝地として知られ、明治時代以降は花街としても栄えました。特に、十二社池(じゅうにそうのいけ)周辺は、温泉を楽しむことができる場所として、多くの人々に親しまれていました。

温泉街の歴史と魅力

十二社周辺は、江戸時代から「十二社の滝」として知られ、自然の美しさと温泉が楽しめる場所として人気がありました。明治時代には、温泉街としての発展が進み、多くの茶屋や料亭が立ち並びました。特に「新宿十二社天然温泉」は、地元の人々だけでなく、遠方からの観光客にも愛される存在でした。

週末の賑わい

昭和43年頃には、週末になると多くの人々が十二社の温泉街を訪れ、賑わいを見せていました。家族連れやカップルが温泉に浸かり、自然の中でリラックスする姿が見られました。また、温泉街には多くの飲食店や土産物店があり、訪れる人々を楽しませていました。

都市開発と温泉街の消失

しかし、1968年(昭和43年)に十二社池が埋め立てられ、その後の都市開発により温泉街としての面影は徐々に失われていきました。高層ビルの建設や再開発が進む中で、温泉街は姿を消し、現在ではその名残を感じることはほとんどありません。

まとめ

昭和43年頃まで、西新宿の十二社周辺は温泉街として多くの人々に親しまれ、週末には観光地として賑わっていました。現在では都市開発によりその姿は消えてしまいましたが、かつての温泉街の歴史と魅力は、今も多くの人々の記憶に残っています。